分割払い(後払い)の進化と個人情報 2
自動車販売(市場)の売掛管理機能分化にみる
(下記で背景が白の場合、売買を視野に入れて説明)
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昭和50年代(1975年〜) ローン、クレジット時代の幕開け
売掛回収の機能分化がはじまる
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自動車は、大衆のものになった。
分割支払い方法として、ローン、クレジットが、登場し
普及(昭和50年代後半)しはじめた。
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丸專手形は、手形の管理に、大変手間がかかった。
おりから、コンピュータ化の進捗で、
銀行の、口座引き落としの、システムが、発達して来てた。
銀行は、管理工数低減と効率化の為、クレジットへの切り替えを促進した。
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販売会社は、丸專手形からの金利収入があったが
長期売掛回収コストも増加していた。
金利収入ではないが、そのかわり、取り扱い手数料収入があり、
なおかつ、売掛回収労力と無縁である
ローン、クレジットのシステムを採用し始めまた。
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ローン、クレジット会社も、売り込み活動を、促進しました |
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セールスマンにとって、売掛回収活動は、当然、不評であった。
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売掛回収に、手をやいていたセールスマン、サービスマン、販売マネージャーは、
渡りに船とばかり、手持ちの売掛債権を、ローン、クレジットの契約に切り替えた。
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つまり、本当は、販売済みのお客様なのに、
新規を装ってまで、クレジット契約にした。
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販売会社は、丸專手形の金利収入確保も重要であり、
新しい形態である、クレジットの採用については、先行きどうなっていくか、
様子見の姿勢であった。
つまり、車両拡販優先の中で、ノーコントロール状態に近かったというか
その都度、場合によって、クレジット、ローン会社の、売り込み競争を利用したわけだ。
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お客も、ローン、クレジットの手軽さを歓迎した。 |
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一方、サラ金の社会問題化などを背景に、
個人情報保護の機運が高まり
運輸省からの登録情報分配データの中にあった
車庫証明の住所と登録名義人情報が、削除された(昭和50年代始め)。
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折から、「OA」(オフィスオートメーション)ブームが起こり、
販売会社の電算化が始まりまった。
新車、中古車、サービス、部品の「売掛管理」システムが、
先進会社で稼働し始めまた。
システム化の、最優先は当然、「売掛管理」でたった。
昭和50年代半ばに至り、中規模会社に電算化の波は拡がった。
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販売会社の与信審査スタンスは
昭和40年代と同様、引き続き、拡販重視だったが、
次のような変化がおきた。 |
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取引歴のある良質な得意先は、丸專手形で、
その他は、ローンクレジットを組んだ。
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ということは、売掛回収で、手をやきそうなお客の場合は、
「どのローン、クレジットに発注するか」を決めるという作業に、すり替わった。
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車両購入見込み客を何人紹介したとか
質の良くない顧客のローン、クレジットを無理して組んでくれたとか、
営業活動の熱心さを天秤に掛けるとか、の駆け引きに変わったということだ。
こうして、徐々に、ローン、クレジットが増えていった。
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その結果、悪質債権は
ローン、クレジット会社の貸倒償却コストを、極端に上昇させた。
信販会社の回収力は、それがメイン業務ですから強力。
しかしながら、
支払能力が無い、辞退すべき(与信審査が通らない)お客様からの回収は不可能だ。
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加えて、この当時、ローン、クレジット会社の与信審査は、まだ、手作業レベルだった。
ブラック(ネガ)情報の、共有化でもある、信用情報センター(CIC)設立は
昭和59年(昭和60年稼働)まで待つことになる。
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この、手作業レベルの審査のやりかたは、
一般企業の、(与信)審査専門部署と基本的には、同内容。
違いは、信用情報センターを使用しないことぐらいだろう。
また、とくに、専門部署を持たない、一般企業にとっても
販売するか否かの判断をする際の、参考にもなると思うので
別項、「追加調査」として詳細を説明しよう。
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このようにして、結果論としては、
販売会社の長期売掛(準貸倒償却債権)が、つけ回されることになった。
ローン、クレジット会社は、不良債権(貸倒償却債権)の山を築いたのだ。
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機能分化とは、外注化のようなイメージもあるが、
そのような、計画的実施とは、ほど遠いものだった。
自由競争下の、産業構造変化。
ローン、クレジット会社の、血にまみれた、開拓話といえるだろう。
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